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〜 近況・雑感・徒然 〜

とりとめもなく感じたことなどなど。興味のおもむくままに・・・。ピアノや絵にまつわる話題多いかも。
   

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05/04/29(金)
おいしいのだ ローカルネタですが・・・。
今日は、久しぶりにたいへん美味いものを食べて感動したのだ。それも、何千、何万もはたいたわけではなく、980円のランチで。
向かったのは江南市は「いちごや」、こじんまりと落ち着いた雰囲気の和風洋食?居酒屋。
メイン、サラダ、ご飯、味噌汁、デザート、飲み物で980円也。どれも凝ってて美味。平日は、名古屋のオフィス街で、いろいろランチを食するのだけど、今日食べたような美味しいランチは、ここしばらくお目にかかったことがない。ちょっと毎日でも行きたい気分。
ポイントが高いのはこの980円ランチは夜でも頂けるということ。ご飯のおかわりも自由。お昼の早い時間だったのに店内はほぼ満員で、人気が出るのも頷ける。愛知県北部の方には、たいへんお勧めです。

ちなみに本日頼んだメインは、チキンをカリッと揚げたものに、あんかけのきのこ風味おろしソースを和えたもの。お好み焼き風ソース(+若干名古屋の八丁味噌)、紅しょうがと、かつおぶし、からし、マヨネーズがアクセントが美味。カリッとチキンにお好み焼きと大根おろしのハーモニーが口で広がる。食材のシンフォニー。
デザートのババロアのチョコレートムースよし、チーズケーキも上等の砂糖を使ってるなぁと思わせる深みのある味わい。サラダのペンネも(マカロニではない)旨みが横に広がり得も言われず美味。たいへん満足。

いちごや 江南市江森町中81 TEL(0587)53-1580 11:30〜14:00,17:00〜23:00 日曜定休 駐車場30台

05/04/29(金)
川上節にぞっこん 川上弘美さんが、否、もう少し正確に記そう、川上弘美さんの書くものが好きなのだ。とても。かなり熱烈に。
最近、彼女の著作で読んだ2冊、「ゆっくりさよならをとなえる」「ニシノユキヒコの恋と冒険」どちらもたいへん面白かった。

「ゆっくりさよならをとなえる」は何気ない日常を独特の視点で綴ったエッセイ集。「ニシノユキヒコの恋と冒険」は稀代のモテモテ男、ニシノユキヒコの恋愛話。どちらも川上節に、どっぽり浸って、いたく満足。
「ゆっくりさよならをとなえる」はフムフム頷きながら素直に楽しく、「ニシノユキヒコの恋と冒険」は半分嫉妬に近い気分を感じながら、一抹の空しさを感じながら、読んだのでした。世の女性達、イケメンに対してはかくもガードが甘くなるのか、奔放になるのかと、驚きも大きいのでした。(個人的にイケメンという言葉は好きではない。一般男性からすれば、にっくき敵を表す言葉であり、語感もよろしくない。イカがクネクネまとわりつくイメージで。川上さんも使いそうにないけど、言葉の達人の彼女なら、案外さらりっと使われるのかな。)

このところ、かくも川上節にぞっこんになったのは、おそらく、ささやかにこうしてMyページで駄文を記すようになったこと、ネット上でいろんな方の文章に多く触れるようになって、文章に対する嗅覚のようなもの?が育ってきたことに拠る影響なんだと思う。(プロの作家のブログから、自分のような一般市民のものまで、書き手の人柄を想像しながら、一つ、一つの言葉を吟味して、言葉の裏に隠れた行間を意識して読みますね。視覚を失うと聴覚がとても鋭敏になるのと同じで、顔が見えない分、言葉に敏感になる?)

とにもかくにも、おっとり感、やや古風、やや突飛が、ゆらゆら、もやもやがないまぜになって、たいへん素敵な雰囲気が醸し出された川上節、モーツァルトの調べと同じように、心地よいです。
エッセイでは今回の「ゆっくりさよならをとなえる」、恋愛物では「センセイの鞄」が一番のお気に入り。

川上弘美さんの個人的なページ

連休初日の今日は早起きで、しののめそら、コトリのさえずり、線路脇のみどり、見慣れぬ小さな花を見送りながら、ジョギング。朝靄のしっとりとした、それでいてすずやかな空気も気持ちいいのでした。

05/04/26(火)
春便り・その7
 苧環(おだまき)
あいくるしい花。
花言葉は「断固として勝つ」なんだとさ。「断固」の強い響きは似合わない気がするのだけど。

おだまきと言えば、静御前の詠んだ歌
「しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな」
なんですね。ここを読んで、北条政子のことを見直した。
静御前といえば「ひとりしずか」だったのだけど、「おだまき」も縁の花だったんだね。「ひとりしずか」は言葉の響きが美しい。

(もちろん食べる「おだまき」も大好き)

05/04/24(日)
春便り・その6
 日々草
  (にちにちそう)
5拍子のデュエットだ。
花言葉は「合縁奇縁」だそうな。

日々草を調べてて出会った素敵な花のブログ、AQUA WINのニチニチソウも、いい感じ。
05/04/24(日)
やらかしてくれたなぁ トレンド・マイクロ社、派手にやらかしてくれたなぁ。皆さん、大丈夫でした?
数年前、お客さんのシステムが急におかしくなって(メールが送れなくなった)、夜呼び出された時の恨み、忘れてないぞ!同業として、一言、言わせてもらおう。もっとテストをしてくれ〜!(株も下がりそう)

(16:00追記)違う。本当に怖いのは、こういう小さい会社が、日本中のシステムを、経済を麻痺させてしまう潜在力をもっているということ。サイバーテロの怖い映画ができそう。

05/04/23(土)
春便り5
 三つ葉ツツジ
爽やかな陽射しをあびて、やわらかなパステルピンク、とても綺麗

(庭が賑やかになってるので、しばらく花を愛でるシリーズにしよっかな。さぁてと、これからピアノのレッスンだ。)
05/04/22(金)
発表会が近づいて
発表会が近づいてきたので、両親が不在の時は、なるべく居間のアップライトピアノで練習するようにしてる。
でも、我がアップライトピアノ(某国産製)での練習は、全然楽しくないのだ。
低音部が鳴り過ぎてうるさい。逆に高音部は響かず、旋律が思うように浮かんでこない。鍵盤のタッチも活き活きしていない。楽しくない。つまんない。高音が鳴らないので、ついつい右手に力が入り、すぐ疲れる。演奏もボロボロになってゆく。我ながら、かなりの下手っぴいさ。不安は募る。ストレスが溜まる。
もういやだ!で自室のデジピにプリプリ言いながら戻って行く。

はっきり言える事は、デジタルピアノよりも生ピアノの方がいい、というのは常に正しい真理ではないこと。
状態の良くない生ピアノを弾くくらいなら、そこそこまとまなデジタルピアノの方が、ずっと楽しいということ。
以前にも増して、楽しく弾ける生ピアノが欲しいなぁと思う今日この頃。
(自分の腕前の無さを棚に上げて、文句ばっかりすみません。)

05/04/21(木)
音楽と星座を繋ぐ数
実は星占いをけっこう信じてたりする。
今日は朝、TVを見ていると、我が天秤座が12星座中、最も運勢が悪いとのお告げ。むむむ、これは由々しき事態だ。
それで、少しでも難を逃れられればと、星占いのお告げどおり、自分の意見を押し通さずに相手に譲るように気をつけた。その甲斐あってなのか?大過なく一日を終えられたようなかんじ。
でも、もともとは、星占いなんて馬鹿げてると思っていたのだ。そんな非科学的なものはナンセンスだと思っていた。
そういうちょっと傲慢な態度も、実はピアノを練習する中であることに気付いて、心を入替えたのでした。
そう、12という数字の神秘性に気付いたから。音楽の構成要素の音階は長調が12種類、短調が12種類なんですね。どうして11でもなく13でもなく12なんだろう?とても不思議なことだと思う。12という数字は心地よさ、哀しみなど、人の感覚、感情と繋がっている?
12+12の調性で構成される音楽の不思議を思うと、黄道12宮、12の星座からなる星占いにも、ひょっとしたら何かあるのかもという気になってくる。

といっても、全面的にオカルトに走る気はなくて、自分ではどうにもならないもの(運勢?、遺伝)と自分の努力でどうにかなる部分が、半々くらいなのかな?

発展編
12の星座と12の調、どれとどれが対応するかな?

05/04/17(日)
ライブ
昨晩は欲張って、ピアノ連弾練習の後、ライブハウスへ。
お目当てのKABAサウンドに浸る。素朴で温かな雰囲気の音楽は大好き。
趣味のピアノが災いして、ピアノの演奏だと、少なからず技術的なことに目が行ってしまいがちで(実際、自分で弾くとしたらどう?ペダルは?人前演奏の緊張感伝染も・・・。)音楽を聴くとき一番大切な音を楽しむことが怪しくなるんだけど、ピアノ無しだと純粋に音楽に浸ることができる。

ボーカルのSatomiさんの美声、お二人のハーモニーは見事で、歌声の力は絶大だなぁと改めて思う。
声と同じような心に訴えかける圧倒的なパワーはピアノonlyで、可能なんだろうか?
ピアノに同じものを求めてはいけない?

それにしても、とんでもなく気に入ってしまう音楽って、そうそう出会えないので、ここ一年でクオレKABAに出会えたのは、本当に僥倖。今の時代、ネットという協力な武器もあるわけで、これを読んで頂いてる皆さんの宝探しも、うまく行くといいのに、と思う。

 ピアノ練習帰りの公園にて。シュート!
05/04/16(土)
春満喫
 〜チューリップ〜
今日は早起きしたので、午前中、チューリップ園に行ってきた。木曽三水公園へ。
色とりどりのチューリップはとても見事で、デジカメのバッテリーが切れるまで、ひたすら撮影に興じたのでした。やっぱり春はいいなぁと、素直に喜んでました。
現地に着いたのは、開園の少し前で、まだ駐車場もガラガラ。園内も混んでない。早起きするといいことある。名古屋近辺の方、是非、足を運ばれたし。
木曽三水公園のチューリップ祭は明日17日まで。数日後、この見事な花はすべて切り落とされてしまう。ちょっと残酷なようで、でも、そうやって美しさは伝えられてゆくのだ。

 

 

 

05/04/15(金)
ブラームス ブラームスの伝記を読んだ。
今までブラームスの生涯について、人となりについて、ほとんど知らなかったので、興味深く読めた。

・ブラームスとシューマンはほとんど付き合いはなかった。
ブラームスの才能を見抜き、世に送り出したのはシューマンの功績。でも2人が知り合ってまもなくシューマンは精神障害で入院してしまい、二人の間にそれほど交流はなかったんですね。

・クララとの関係
シューマンが精神障害で入院していた頃、クララのことを一番心配して面倒を看たのがブラームス。でもシューマンがこの世を去った後、クララへの熱烈な愛情は冷めてしまったんですね。ブラームスの愛情に応えるようなクララの手紙も残っていて、もう一歩のところまで来てたみたいだけど・・・。
結婚には到らなかったとは言え、クララとは終生、無二の親友の間柄だったようだ。クララがこの世を去った次の年に、クララの後を追うようにして、ブラームスは世を去ってる。二人の関係、やっぱり気になる。

・恋多き男
ご多分に漏れず、ブラームスもまた恋多き男だった。そして名曲がたくさん生まれた。シューマンとクララの娘にも恋情を抱いてたんですね。驚いた。

・最後の押しが弱いのだ
平和な家庭生活を夢見て、何回か結婚の一歩手前まで行きつつ、最後にあと一歩が踏み出せなかったのだ。憐れヨハネス!

・童顔
トレードマークの髭を蓄えたブラームス像が有名だけど、若い頃はかなりの童顔だったんですね。若き日のブラームス、なかなかの美男子のように見えるけど、あまり女性受けする顔立ちではなかったのかな・・・。

・ワーグナーとの関係
当時、ドイツの楽壇を二分していたもう一方の頭目、ワーグナーのことは、ブラームスはかなり評価していた。(逆にワーグナーはブラームスのことを無視してた・・・)でも、フランスは嫌いだったんですね。リストも嫌いだったとか。

などなど。口下手で引っ込み思案的な性格、もどかしい感じなど、親近感が沸くのでした。

05/04/12(火)
反日デモ すみません。堅い話です。
中国の反日デモ、朝からなんだか嫌な気分だったのだけど、田口ランディさんのブログを読んで気分が楽になる。おぉ、なるほど!
そもそも嫌な気分の発端は、出勤前のTVで、みのもんたが日本語が不自由そうな中国人のコメンティターに向かって苛めるような質問を繰り返していたから。弱い者いじめは嫌い。
過激な行動をクローズアップする報道姿勢も、みのもんたも、朝から気分が悪かったのだ。 もっと、まともな放送をして欲しいぞ。>TBS
(すみません、愚痴ってしまって。)

05/04/10(日)
はつなつジョギング 今日は夜、走ったのだけど、いつも走る線路脇の草むらから夏の虫の声が。ジーン、ジーン。初鳴きかな?
この声を聞くと、おお夏だ!という気分になる。まだ桜の時期なのに。なんだか調子が狂うなぁ。この分ではいつも以上に儚く散ってしまいそうですね。

走るついでに、走る時の音楽の話。
最近、走りながら、携帯プレーヤーで音楽を(軽いPOPS)聞くことを覚えたんです。足を運ぶペースと、曲のリズムがピッタリ合うと、とても気持ちよく走れるんですね。マラソンのQちゃんこと高橋尚子選手の愛聴曲(hitomi Love2000)も、試してみたところ、なかなかいい。光の中をどこまでも走ってゆける感じ。(といってもせいぜい5,6キロなんだけど・・・)
問題は、今までPOPSの曲はあまり聞いていないので、ビートが効いた爽快な疾走系の曲を知らないということ。メトロノームで測ったところ、自分の走りにフィットするのは165〜175くらいの曲。モルト・プレストかな?
ジョギング・ソングなるものは検索しても出てこないし、曲のテンポで検索できるサイトもなさそう。

これは、いい!というのがあったら、教えて下さい。(第1希望:女声ハイトーン・涼しい系)


 
05/04/09(土)
さくら 午前中、音楽室でピアノの練習。帰り道、隣の公園は花盛り。訪れる人はまばらでとても静か。
頑張って名所に行かなくても、これで十分だなぁという感じ。
そう言えば、小さい頃、さくらは気味が悪かったのだ。変な気分だったのだ。
というのも、葉っぱが無いから。葉っぱの緑がないところに、花だけが咲くことに違和感があった。子供心にも、葉っぱのみどりは花の美しさを浮き上がらせるために必要不可欠な要素だと感じてたんですね。もう、その妙な気分は失われてしまったけど、そんなことを感じたのは自分だけ?


 

  ゆきやなぎ もきれいだった。

05/04/08(金)
わかおさんも楽しい 今日は、仕事帰り、栄に立ち寄り、短い時間だったけど水谷若緒さんの歌を楽しんだ。
若緒さん、その昔、NHK名古屋のFMでパーソナリティを務められてた素晴らしい歌声の持ち主ですね。
あいかわらずキラキラ輝くような明るい歌声。いい声だ。楽しいキャラクターの若緒さん、見てるとなんだか楽しくなる。ひりひりしてた喉の痛みも、どこかへ飛んでいってしまった。
実は、愛知県民なのにあまり名古屋弁が好きでなかったりする。でも若緒さん名古屋弁は、抵抗がないんだなぁ。不思議。

そういえば、今日は花祭り(お釈迦様の誕生日)でした。イエス・キリストに比べてかなり不遇だと思う。

05/04/05(火)
シノノメソラ、楽しい。 仕事帰りにライブハウスへ。お目当てはシノノメソラ。名古屋のアコースティックのインスト(歌無し)バンド。
バイオリン、クラリネット、ギター、パーカッションという構成は、けっこう珍しいのでは?
名前からして、きっとやさしい雰囲気のバンドなんだろうな。今日は疲れたからリラックスできるといいな。と思いきや、はずれ。 いい意味ではずれ。終始驚かされっぱなしで、とても楽しいライブ。

混沌民族系とでも言うのだろうか?ケルト、ハンガリー、モンゴル、オキナワ、ジャポニズムをミキサーにかけてジュースにしたようなかんじ。起伏に富んだリズミカルな曲が多くて、花形のお二人、バイオリン、クラリネットがぐいぐいひっぱってゆく。一体どこに着地するんだろう?まるで予想がつかない。
正統的なクラシックや吹奏楽からみると支離滅裂かもしれないけれど、そのはみ出し具合、壊れ具合が面白く。たいへんワクワクする。
なかでも、クラリネットには、たいへん驚いた。モーツァルトに出てくるような甘い音色から、まるでサックスのようなヒートアップした音色まで、こんなに多彩に表現できるんだ!と、クラリネットの魅力再発見でした。こういうルール違反的なクラリネット、クラシックの演奏会ではお目にかかれないんじゃないだろうか。

超絶技巧の曲として名高いチャールダッシュも、一流のバイオリニストさんが弾く場合、基本的に壊れる心配はなく安心して聴けるのだけど、今日は違った。懐かしいチンドンが入ったジャポニズムアレンジで、バイオリンとクラリネットが乱舞するのだ。ほんとうにどう展開するのか分らない。今日のチャールダッシュは一生忘れないだろうなぁ。

予定調和じゃないどう転ぶのかわからない音楽、楽しいです。また一つお気に入りのバンドが増えたのでした。

05/04/02(土)
万博どうする? ようやく弁当の持ち込みが解禁となった愛知万博、地元なのに、実はあまり興味がなかったのです。
でも、公式サイトを、ざざ〜っと見ていると、この辺は見てみたいなぁというのがちらほら。

チェコ館 ウォーターピアノって何?
ポーランド館 展示の中心はショパンですね。 カリシアピアノ?どんな音だろう?弾けるのかな?

日本庭園は、会期後も公園として残るので、焦って行かなくてもいいみたい。

期待のオーストリア館はたいへんそっけない。

05/04/02(土)
春便り4
 ボケ
何で僕はボケなんだろう?
05/03/31(木)
たまには仕事のことも 今日は仕事が面白かった。
ここ数週間、単調なプログラム作成の作業が続いていた。PCに向かい黙々とプログラムを作る。一見、難しそうに思えるプログラミングも慣れてしまえば、あまり頭を使うこともないんです。必要な部品を集めてきて、それらを繋いで、テストして、はい出来上がり!といった感じ。ここしばらくは昼下がりに定期的に来襲する睡魔が、いちばんの厄介ごとという、ちょっと申し訳ないような落ち着いた日々だったんですね。
でも、今日は違った。
違ったのは夕方からだった。睡魔をやり過ごし、さぁ今日もあと2時間だなぁと思いきや、お客さんに呼ばれ「空耳さん、悪いけど、ここ治してくれるかな?」と修正を頼まれる。
「はい。えぇっと、そうですね・・・。」わりと軽く受け、早速作業にかかると

「いかん、これは!」
修正内容が思った以上に大変だということが発覚。まずい・・・。このシステムは明日の朝から運用開始なのだ。なにがなんでも今日中に片をつける必要がある。相当の残業 or 終電、下手をすると泊り込み?ぐらいの予感。まずすぎる・・・。
しばし、ああでもない、こうでもないと黙考。このまま、体力に任せて正面から正攻法で攻めるべきか?他に良い作戦はないのだろうか???
すると、閃いたんですね。うまい解決策が。修正範囲も少なく、難易度も高くなく、データベースへの負荷も少ない、すべてが丸く収まる良い方法が。そのおかげで、まともにやっていたら何時間もかかっただろう修正が1時間たらずで無事終了。一件落着。

ピンチを知恵を絞ってうまい方法で切り抜けるのは、仕事の醍醐味ですね。
(でもスリルのある映画は、仕事のスリルと重なって、たいへん心臓に悪いので、あまり観ないのです。アポロ13はとても好きだけど・・・。)

愛知万博の予約システムのダウンのニュースなど、見てると、同業として、ため息が出ますね。とんでもない修羅場が繰り広げられてることが分るので・・・。

05/03/30(水)
春便り3
 サニーレタス
緑と紫のさざなみ
05/03/29(火)
春便り2
 スイセン
八重奏
05/03/28(月)
春便り1
 馬酔木(あせび)
幽かに漂う香りもなかなか。
花言葉は「献身」だとか。
05/03/27(日)
ピアノ公開講座 住友郁治(ふみはる)先生のピアノ講座に行ってきた。
講座と言っても、一般向けの内容でもっとピアノに親しんでもらおうと言うものでした。話:演奏=1:2くらいだったろうか。たいへん話が面白く(関西的に)、演奏する曲の聴きどころや背景、ピアノにまつわるあれこれを興味深く聞けた。繊細で歌心の感じられる演奏も良かった。こんな演奏会を無料で催して頂いた主催者の方に深く感謝。
会場のアートスペースホリエは、ヨーロッパのいろんなピアノが置いてあり(ベヒシュタイン、プレイエル、ツィンマーマン、ザウター)ここに来るといつも思うのだけど、新しくピアノを買い換えることになって、この中の1台を選べと言われても、多分、よう選ばんだろうなと。どれも魅力的なピアノで究極の選択すぎる。
今回、一番印象に残ったのはスケルツォ3番だろうか。節操の無いことに、スケルツォの中では一番好きになってしまった。

以下、内容を少しメモ
・バッハの時代、親指はバッドフィンガーということで、実はあまり演奏に使われなかった。
・ビブラートペダル・・・モーツァルトの時代のピアノはペダルは膝で操作したので、きっと貧乏ゆすりみたいだっただろうね。(そもそも、ビブラートペダルという技、今回初めて知ったのでした。)
・トルコ行進曲・・・16分音符が連続して続くパッセージ、均一さだけではなくて、言葉の抑揚のようなものを意識して。
・月光(1楽章)・・・ほとんどペダル踏んだまま。ピアノの性能が試される。
・テクニックのギリシャ語はテクネー。語意は技術、芸術。本来技術と芸術は同じものだった。
・ピアノの生産台数・・・ヤマハは600万台、ベヒシュタインは19万台、スタインウェイは58万台
・ヨーロッパのピアノには、弾いて楽しくなければ楽器じゃないという心意気がある。
・世界のベスト50のコンサートホールに入っている日本のホール・・・浜離宮朝日、サントリー、東京文化会館、ほんと?

この夏に国立音大で一般向けのピアノ公開講座をされるとのこと。内容は趣味のピアノを越えているけれど、面白い講座だと思います。(ちなみに同シリーズのポピュラーピアノ講座は小原孝さんが担当されるようです。)

曲目
・モーツァルト「幻想曲k.397」「トルコ行進曲」
・ベートーヴェン「月光3楽章」
・ショパン「牧童」「革命」「スケルツォ3番」
・リスト「愛の夢3番」「エステ荘の噴水」
in多治見アートスペースホリエ

05/03/26(土)
満員電車から繋がる 満員電車で気付いたこと、それは、人は音を吸い込むということ。
満員電車はガラガラの電車に比べると、かなり静かなんです。そのことに気が付かないと、ウォークマンの音をみっともなくシャカシャカ鳴り響かせることになってしまう。通勤距離が長い場合、要注意ですね。
コンサートホール、一流のピアニストはホールへの人の入り具合によって演奏を変化させるという話、耳にします。人がたくさん入ると音が響かなくなるんですね。
そういうば、雪が積もった日も静か。年に数日あるかな?雪が積もった日は、いつも悩ましい電車の騒音も気にならなくなる。人間の体の半分以上は水。水が音を吸い込むという方が、適切かな?

さまざまな事象、現象、実は同じ原理で繋がっているんだなぁ。繋がりを知るのは楽しい。
(少し発展編)歴史や美術、音楽の繋がりを知るのも楽しい(ダ・ヴィンチ・コード面白かった)。新しい人と繋がりができるのも楽しい。繋がることは人間の普遍的な欲求かもしれない。

05/03/21(月)
春の日の引きこもり 日中はネット三昧で、地元名古屋で良さげなアコースティックバンドの存在を知り、楽しみが増える。
検索エンジンの一覧には、興味深いページがいくつも出てくるのだけど、そのすべてを見ることは不可能。自分が開くページは、ごくごく一部。
ネットの広大な世界を前にすると、自分が行き着くページは、ほんとうに不思議な偶然の出会いなんだという気になる。 ホームページでも、音楽でも、本でも、そして人との繋がりも、出会いはすべて不思議な偶然のめぐり合わせ。 この偶然を大切にしたい。
不思議なめぐり合わせと言えば、テレビでなにげに流れてきた句。

 春袷(はるあわせ)なにやらよき香残しゆく 黛まどか

きれいに整った句。和服の美人が通り過ぎてゆく。黛まどかさんは遊佐未森さんに似ていて驚く。

夜は、走った。空を見上げると、今までに見たこともない大きな傘が月にかかっていた。月の直径の50倍、いやもっと大きな巨大な傘。春のおぼろな空気がなせるわざ。夜空はすっかり春。

テレビでちらっと見たクイール、昔よくなついてくれていたペットのことを思い出す。大好きなカヴァレリア・ルスティカーナも流れてきて、いかん、どうも涙腺が弱ってきてるみたい。

05/03/19(土)
マグダラのマリア
 からドビュッシーへ
今、読んでる「ダ・ヴィンチ・コード」、とても面白い。大いに知的好奇心をくすぐられる奥の深い内容なのに、インディ・ジョーンズ張りのスリルのある展開で、面白く読める。キリスト教世界の知識が自然に入ってくる感じ。
(以下、ややネタバレかも・・・。)
イエス・キリストとマグダラのマリアの結婚、マグダラのマリアに宿ったイエスの子とその子孫、十字軍遠征、テンプル騎士団、シオン修道会、聖杯伝説・・・。今と昔、光と闇、伝説と事実、いろんなことが一気通貫でつながってゆく。この本に登場する秘密結社の話(妖しい儀式もかな?)、歴史書、歴史上の事件については事実とのこと。へぇ〜の連続。(全てを真に受けるわけにはいかないのだろうけど・・・)

イエス・キリストとマグダラのマリアの夫婦説は、以前、どこかで聞いたことはあるのだけど、本書のように、いろんな歴史上の事実を積み重ねて論証されると、たいへん説得力がある。
イエス・キリストとマグダラのマリアが夫婦であったとすると、マグダラのマリアの絵に必ず描かれることになっている髑髏は、実はイエス・キリスト自身のものと思えてくる。その方が自然だと思う。
(参考までにラ・トゥールのマグダラのマリアの絵です)

あと、ピアノ趣味人としてたいへん興味を惹くのは、ドビュッシーがシオン修道会の総長を務めていたという事実。このシオン修道会なる秘密結社の歴代の総長には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニュートン、ビクトル・ヒューゴーと、錚々たる顔ぶれが並ぶんですね。この修道会の目的は聖杯の秘密を守護することらしく、いつかドビュッシーの音楽を解明して聖杯伝説の謎に迫るような本が出るのかも・・・。フリーメイソンとモーツァルトの関係も興味深いですね。

古代ギリシャ以来5という数字が芸術の世界で極めて重要な意味を持つのに(金星が8年周期で空に描く軌跡=☆(五芒星)=辺の比が黄金比1.618=愛と美の女神ヴィーナスの象徴)、音楽の世界では、5拍子の曲がほとんど無いですね。ある意味不思議なこと。
でも五線譜の5の由来は、五芒星に由来するのかも?

ああだこうだ書き連ねつつ、音楽や絵は、頭で考えることじゃなくて心で感じるもの。頭でっかちにならないようにしないと、と思う。

05/03/17(木)
魅惑の円 前回、紹介した絵はミュシャらしくなかったので、ミュシャらしい作品のお気に入りも載せようっと。
選ぶのに困るのだけど、連作「芸術」が特にお気に入りかな。彼女たちとても生き生きしてる。

ミュシャの絵は、円形やなめらかな曲線の美しさに特徴がありますね。
昔、テレビで手塚治虫氏が「ディズニーのキャラクターの円運動にエロティシズムを感じる」と語っていたのが、たいへん印象的だったんだけど、ミュシャの絵を見てると、なんとなく分る気がする。円がふんだんに取り入れられて、観る者を引きつけるんですね。ドミソの和音が心地よいのと同じで、人は不思議と丸いものに心地よさを感じる。何故?恐らく、地球も月も太陽も丸くて円運動をしてることと繋がっているから、というのが勝手な空耳説。

そういえば、ちょうど読み始めた「ダ・ヴィンチ・コード」に「円は女性の保護本能の象徴」という記述があった。何気ない図形に深い意味が秘められていたりする。図像学、象徴学?面白そう。
この本、歴史や絵画好きにはたまらないかも。オリンピックはどうして4年ごとなのか?オリンピックはどうして五輪なのか?どうして星は☆のマークで表されるのか?はたまた黄金比との関係は?キーワードは金星で繋がっているんですね。目から鱗でした。何気ないことに人類の歴史や深い意味が隠されてるんですね。


  連作<芸術>「詩」

  連作<芸術>「音楽」

  連作<芸術>「ダンス」

  連作<芸術>「絵画」

05/03/15(火)
ミュシャも好き ミュシャも良かったのだ。
アールヌーボーの華、アルフォンス・ミュシャの絵、かなり好きです。
夢想的な表情を浮かべた女性像を描かせたら、ミュシャの右に出る画家はいないんじゃないかな?至るところに見られる曲線のラインの美しさに、難しいこと抜きに魅了されていました。

今回、特に印象に残ったのは「百合の聖母」「ボヘミアの唄」(どちらもちょっとミュシャっぽくないんだけど・・・)
「百合の聖母」は、少女を優しく包み込む聖母の白い衣が印象的。「ボヘミアの唄」もボヘミアの田舎の澄んだ空気が感じられる。いつかドボルザークの美しい旋律を奏でる時は、この絵を思い出したいところ。

東京都美術館「ミュシャ展」
(この展覧会、ほんとうに大盛況で特に若い女性が多かったです。記念の絵葉書を買うの、通勤ラッシュみたいで、けっこう大変でした。)

  百合の聖母
色が今一ですね・・・。
  ボヘミアの唄

05/03/14(月)
炎の記憶 ラ・トゥールの絵を観て、小さい頃、火を見るのが好きだったのを思い出した。揺れる炎を眺めるのは飽きなかった。
ほとんど手伝いをしない子供だったのに、ゴミや畑の草を燃やすのだけは、唯一、満足にやれた仕事だった。(一度だけ失敗して、畑の寒冷遮を燃やして、ひどく叱られた。)
そんな体験があったからかな?ラ・トゥールの絵がとても良く思えたのは。でも、決して炎への憧れは、個人的な体験なんかじゃなくて、誰も、意識の奥底では、同じように炎への憧憬は眠っているんだと思う。スイッチをひねれば電灯が点く便利さは、まだ、たかだか100年くらいの歴史しかなくて、それまでの何万年もの間、人々はずっと、ゆらめく炎と一緒だったのだ。いわば人類は炎の傍らで心も体も進化を遂げたわけで、その何万、何十万年の記憶は、僕達の遺伝子に刻み込まれているんだと思う。
そして、多分、ラ・トゥールは知っていたんじゃないかな?深い闇の中にあって揺らめく蝋燭の炎が、どれだけ人々の心を癒し、希望をもたらしてきたかということを。炎の揺らめきは心の揺らめきに通じるということを。圧倒的な太陽の光が神の御業であれば、たよりなげな灯(ともしび)こそ、人間にふさわしいということを。

今回、特に印象に残ったのは「ランタンのある聖セバスティアヌス」「書物のあるマグダラのマリア」「荒野の洗礼者ヨハネ」
ラ・トゥールは「フランスのフェルメール」と言った呼ばれ方もあるようだけど(確かに絵のトーンは近いですね)、僕にとっては素直に「ともしびの画家」です。
失われつつ?ある懐かしい炎の温かさ、思い出されては如何でしょうか?
国立西洋美術館「ラ・トゥール展」

  書物のあるマグダラのマリア
これは模作で展示されてあった片方。もう片方の方が、炎のゆらめきが感じられて好きだった。
  ランタンのある聖セバスティアヌス

05/03/13(日)
遊佐さん桃節句茶会 昨日、今日と東京をぶらついた。遊佐未森さんのコンサート(桃節句茶会)を楽しみ、いろいろ絵を観る。本当は、どこか公園で日向ぼっこでもしてのんびり本でも読もうと思っていたのだけど、雪が舞う寒さに恐れをなして、美術館のはしごになる。疲れますね。絵を見るの。でも、けっこう好きなんだ。(正確には、昔好きだったのが、復活してきた。)今回、観て回ったのは、

国立西洋美術館「ラ・トゥール展」(心に染入る神秘の灯(ともしび)でした。常設展も見ごたえあり)
東京都美術館「ミュシャ展」(女性美、ここに極まれり)
山種美術館「桜さくらサクラ・2005展」(一足先に春爛漫)

しんどい思いをして見た甲斐合って、素晴らしい絵にいろいろ巡り合えた。好きな絵も増えた。道中の新幹線で読書も捗った!butわざわざ食べに行った深川めしは、それほどではなかった。

桃節句茶会(cafe mimo)
遊佐さんの歌声、トークは一足早く春本番のごとく、ほのぼのと暖かくて、たいへん愉快。遊佐さん(ピアノ、ボーカル)、ギター西海孝氏、パーカッション楠均氏のゴールデントリオの呼吸もぴったりで、観客を楽しませるツボ、しっかり押さえられてるなぁと改めて感心。サウンドのクオリティの高さ、遊佐さんの歌声の色艶も、いつも以上に感じられた。
ゲストの栗コーダーカルテット・栗原正巳さんのリコーダーも、さすがだなぁと感心。プロのリコーダー奏者の演奏を聴くのは実は初めてで、またリコーダー熱が高まりそう。
今回、ファンクラブの優先予約で席を申し込んだのに、後から2列目で少し不満だったのだけど、そのおかげであることに気付く。観客の9割は男性客ということに。千秋楽が女性限定なので、その皺寄せなんだろうな?とは言え、ちょっと複雑・・・。地下鉄の音が無気味に響いてくるのも、やや興をそがれる。
まぁ、そんなことは置いておいて、気付いてみれば、楽しく、もわもわ、ほわほわな気分になっていたわけで、これからも操を守り、次回の遊佐さんの公演も必ず行こうと決意を新たにしたのでした。
(05/03/12 in東京青山・草月ホール)
(次回、美術館の感想の予定。)

05/03/11(金)
感じて息づかいを 川上弘美選「感じて息づかいを」というアンソロジーを読んだ。
川上弘美さんは、かなり好きな作家。彼女のやや古風であわあわとした独特の世界に惹かれてる。
その川上さんの選んだ恋愛小説の短編集だから、きっと淡い日本画のような素敵な世界が楽しめるに違いないと思って読んだのだけど、 良い意味で、期待は裏切られる。
日頃、あまり本を読まないからだろうか?収められた短編はどれも読み応えがあって重い。鉛の玉を打ち込まれたような重さ。人間の持つ業の深さ、おぞましさこそが「愛」の本質かな?というのが読後、感じること。息づかいを感じる余裕はちょっとなかった。

H・エリスン「少年と犬」、野坂昭如「花のお遍路」、多分一生、忘れられないだろう強烈なインパクト。収められた作品はどれも傑作だと思う。勇気を出して手にとられる方、相当の覚悟を持ってお読み下さい。

・坂口安悟「桜の森の満開の下」 ・車谷長吉「武蔵丸」 ・野坂昭如「花のお遍路」 
・よしもとばなな「とかげ」 ・伊藤比呂美「山桑」 ・H・エリスン「少年と犬」 
・川上弘美「可哀相」 ・藤枝静男「悲しいだけ」
05/03/09(水)
冬眠から覚める頃 本日、空耳家では、あまり有り難くない春の知らせがありました。
我が親父殿、定年退職後は、雨が降らなければほぼ毎日、野山を徘徊しているのですが、本日、野生の熊に遭遇したのだそうだ。少し離れていて襲われることもなく無事だったですが、初めての熊はかなり怖かったようだ。熊を見つけて、谷を下って行くまで、10秒たらず、呆然と立ち尽くしてたそうだ。写真を撮る余裕もなく(そりゃ、そうだ・・・。)、残念ながら現場の写真はありません。

場所は岐阜県の奥深いところで、まだ山は雪がたくさん残っているのに・・・。昨年の台風で、十分食料にありつけなかった熊たちは、空腹に耐えられず、いつもより早く冬眠から目を覚まして、食料を求めて彷徨ってるようです。ワラビの根っこ?が派手に掘り返されてる現場もちらほらあるとのこと。(犯人は、熊か、猪かわからないけど・・・)
今年はワラビが、不作かも?新芽が出るまで、熊が凶暴化するみたいで、フライング気味に山菜取りに行かれる方、ご注意下さればと。
やっぱり、この春、熊が心配な話ありますね。

05/03/08(火)
最後の日で
ありますように
そう言えば、京都・堂本美術館の受付で学生と間違われたのでした。最初、何を聞かれたのか分からなかった。「はい?」と悩んでいて、もう一度「学生ですか?」と尋ねられて、ようやく分かった。
34歳にもなるのに・・・。女性なら10以上若く見られるのは、嬉しい事件かもしれないけど、男の場合は複雑。なんだかがっかり。
多少若く見られるのは良いとして、10以上若く見られるは、問題ありですね。「若い」には「幼い」「頼りない」「成熟していない」そういうマイナスのイメージがつきまとうので。
受付の人は自分の母親ぐらいの年齢だったけど、そのぐらいの年になると、世界は、みんな若く見えるものなのだろうか?
(自分は、新入社員も大学生も高校生も、なんとなく同じように感じられるんだけど・・・。)

とにかく、2005/03/06が学生に間違われた最後の日でありますように。
絵葉書から使わせて頂きました。
  堂本印象「兎(三思図)」
こちらも絵葉書から使わせて頂きました。
  堂本印象「雪」

05/03/07(月)
弥生・京都
旅上に誘われて
旅上に誘われて3/6(日)、この日向かったのも京都。
ややマンネリなので今回は旅気分を味わうため、行きは新幹線を使わずに下のJRで行ってみた。と言うのは嘘で本当はお金を節約するためですね・・・。新幹線で30分台の名古屋〜京都が2時間半、\2,500円也。(近鉄特急が利用できる名阪間に比べて、ちょっと不便)
京都は曇りと晴れが半分くらい、かなり寒い。散策したのは、堂本印象美術館、等持院、北野天満宮。(この辺

堂本印象美術館
前回、時間切れで諦めたこの美術館からスタート。堂本印象画伯の初期の作品が多く展示されていた。やわらかい日本画、やっぱり好きだなぁ。一番印象に残ったのは「奏でる女」。これは絵ではなくて、五線譜の線とハープ?の弦が一体化したような抽象的なオブジェ?(といっても平面だけど)。これを見てあることに気付く。五線譜の線はハープの弦に由来するのでは?と。もし人類がハープのような弦の楽器を発明できず、ラッパとか太鼓とか、そういう楽器しか持たなかったとしたら、五線譜は発明されずに別の方法で音楽を表現してたんじゃないかな?と。

等持院(とうじいん)
足利家ゆかりの名刹。等持は初代・足利尊氏の法名とのことでした。歴代の足利将軍のよく出来た木像が並ぶ。夜ここを一人で訪ねる勇気なし。尊氏、義光の貫禄はなるほどなぁと。アニメーションの一休さんで出てくる義光公は、ここの義光像に倣ってますね。(木像の知識は皆無で、そんなことぐらいしか分からない・・・)
庭園も、冬枯れのこの時期は寂しい雰囲気。訪ねる人もまばら。

北野天満宮
恐らくこの日、京都の名所の中で一番賑わっていたんだと思う。京都随一の梅が最盛期だったのでした。白・桃・赤の梅が見事。香おりはよく分からない。罰当たりなことに梅のことしか頭になかったのだけど、学問の神様ということを思い出し、慌ててお参り。願ったことは・・・。

夜は定番化したライブハウスを訪ね、目当てのコトリ木もラストまで楽しめた。今回、ベーシストが急に抜けたためなのかな?なんだかドラムの音が耳につく。録音、撮影可とは言え、観客のマナーも気になる。なんだか神経質・・・。憧れのピアニストさんと握手できたのは嬉しかった。試しに飲んだディタ(ライチのリキュール)が美味で驚く。10時にライブハウスを出て11時半には家に着く。改めて新幹線は速い。


  等持院・芙蓉池

  北野天満宮・梅園

05/03/05(土)
旅上
〜クオレ〜
萩原朔太郎「旅上(りょじょう)」

ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

昨日書いた「Cuore」に入っていた曲で、どうしようもなく気に入ってしまったのがtrack2の「旅上」
気付くと、この曲が頭を巡っていて、知らないうちに「ふらんすへ〜」と口ずさむ始末。
この朔太郎の詩、今まで知らなかったのだけど、教科書に載るぐらい有名な詩なんですね。
いいなぁ〜。この詩。 鉄道好きの血が騒ぐんだろうか?がたんごとん鉄道に揺られながら18切符で遠くへ行った時の思い出とか蘇る。
口語と文語のバランスがいい。「ふらんす」は誰しもが心に密かに抱く叶わぬ憧れ。「汽車」は日々、こつこつ仕事をして家族を引っ張るお父さん象徴。高原の牧歌的なしののめの朝の訪れは・・・。何が心に訴えかけるのか?素敵な詩の鑑賞、解釈は置いておいて、何より「Cuore」の曲がいいのです。
ステップを切る弾むリズム、少し凛とした空気の中にも、自然と心が弾んでくる温かいメロディー。詩の雰囲気とメロディーが合わさって、実に愉快な気分になるのでした。
で、言葉で書いてても、伝わらないので、恥を偲んで、ちょっと=歌ってみました♪
クオレの歌、ほんとうに、いいなぁ。
明日あたり、うれしきことを思いて、きままなる旅にいでてみようかな?もえいづる春の足音、聴こえるかな?

05/03/04(金)
ゴンドラの唄
〜クオレ〜
昨日紹介した塩野さんのエッセイの中で引用されていた「ゴンドラの唄」だけど、最近おもしろい「ゴンドラの唄」を知りました。
マイナーな話題で申し訳ないのですが、関西で活動されているクオレが歌う「ゴンドラの唄」。
ライブハウスで聴いて、いたく気に入り購入した「Cuore」の中に入ってた曲。中山晋平のオリジナルのゆったりとした「ゴンドラの唄」とは、別世界のハイカラで陽気な節回しの「ゴンドラの唄」。はじめ感じた違和感が去ってみると、お気に入りの1曲に。
他の曲もいい。track.8「手紙」は、やさしさと静けさと温かさが入り混じった名曲で、時代が時代ならばヒットチャートに名を連ねてもおかしくないのに。track.4「ゴンドラに乗って」も、たゆたう風情がたいへん心地いい。ん〜、こういう音楽が、ライブハウスの片隅で埋もれさせてしまうには、あまりに惜しいと思う。人気が出て広く聴かれるようになるといいのに・・・。

手間のかかった紙細工の手作りジャケットも気に入りました。ステープラの芯が温かい。手作りこそ最高の贅沢ですね。確かに完成度の点では、手練手管に長けたプロのミュージシャン、アレンジャーの手による聞き心地の良い音楽には、かなわないかもしれない。でもね、手作りならではの良さがあるんじゃないかな?凝ったアレンジによって、逆に曲自体の持つ本来の魅力が薄まってしまうことはないだろうか?素朴で荒削りかもしれないけれど、電波に乗る音楽には無い、生命力みたいなものを感じるのです。クオレ井波さんは、幼少からピアノに親しまれてただけあって、どの曲もピアノの音を基調にした良質のPOPSです。

世の中には、電波に乗らない良い曲が実はたくさん埋もれているんじゃないかな?
名曲発掘はレコード会社やラジオ局に任せず、自分の耳で探すべし、というのが最近感じてること。
ステレオのスイッチを切って、ライブハウスに出るのも悪くない。ですよ。
(音楽だけに、手作り回帰が起きてないの、不思議です。)

3/6(日)の「コトリ木」ライブ(京都・ネガポジ)も楽しそうだなぁ。

(今回の雑記、生の歌声に魅了された者が逃れることのできない贔屓が入ってること、ご了承頂ければと。)

(←天使のてるてる坊主、分かるかい?)
05/03/03(木)
男たちへ
少し前の新聞に出てたけど、今、海外旅行で一番人気があるのはイタリアなんだそうです。
そのイタリア人気の一翼を担っているのは塩野七生(しおの・ななみ)女史のイタリア、ローマを舞台にした一連の著作じゃないかな?と勝手に睨んでいたりします。
女史の代表作「ローマ人の物語」はけっこう読まれてそうだけど、今日書くのは塩野七生さんの「男たちに」というエッセーの中の一節。昨日のひとり度の雑記を書いていて思い出したのでした。愛とか恋とか、そういう言葉を書くのは面映いのだけど、意を決して書くとします。

「私のすすめたいのは、ほんとうの恋なのだ。そのような恋に出会わなければ、出会うまで、読書したり音楽を聴いたりして一人で夜を過ごすほうが、ずっと美しい人生のおくり方だと思う。そうしていると、いつか出会う。生きているすばらしさを心の底から味わせてくれる、ほんとうの恋に出会う。
 いのち短し、恋せよ乙女
 紅きくちびる、あせぬまに
 熱き血潮の、覚めぬまに
 明日の月日は、ないものを
われわれは知っている、紅きくちびるの乙女時代に、なんという馬鹿気た恋しかしなかったかということを。
恋は、明日の月日はないものを、がわかる年頃になって、はじめてできるものではないだろうか。恋する喜びが、どれほど生に生彩を与えてくれるかがわかる時代になって。」

この一文、最近、離婚して一人身に戻った友に贈ろうと思います。
本書には「フツウの男をフツウでない男にするための54章」と副題が付けられてるけど、女史の「男性的にくっきりと区画整理された明晰な頭脳に、牝蛇がからみついたような硬質でセクシュアルな文体、かてて加えてキラキラ冷たく光るダイヤのような独自の卓越した見識」は、むしろ女性向けかもしれませんね。切ない男たちは滅多切りにされてるけど、こういう官能的なナイフならば、なにもかも許そうと言う気になるのでありました。

05/03/02(水)
孤高の人
少し前の雑誌をパラパラめくっていると「ひとり度チェック・テスト」なる記事が目に入る。40点満点のこのテスト、テスト結果は次の3段階。
 ・typeA(0〜20点)「孤立」タイプ・・・ひとりで生きる能力が少ない。
 ・typeB(21〜32点)「孤独」タイプ・・・「孤独」を楽しむことができる資質がある。
 ・typeC(33〜40点)「孤高」タイプ・・・何かを一人で極めていくような状態。誰をも寄せ付けない柱を持ち、それを突き詰めて行くので修行僧のイメージがある。「孤独」極まり、周囲から敬われる「孤高」の域に達する資質がある。

早速やってみると、むむ〜、なかなかの高得点でした。typeC「孤高」の資質ありなんだそうです。確かに一日中、誰にも遭遇しない山でテント張っても平気、一人ピアノを弾いて時間を過ぎるのを忘れたりとか、素質はありそうだったけど・・・。うまく鍛えれば無人島でロビンソン・クルーソー的な生き方もできそうですね。この結果、良いことなのか?悪いことなのか?悩みますが・・・。

あと、ひとりで生きて行く条件は
 1.分かりあえない人とは、それでいいと割り切る
 2.いい人になるのをやめる
 3.周囲にまどわされずに、ずぼらになる
 4.電話にはなるべく出ない
 5.自分にとって本当に大切な何かを見つける
 6.誰もがまもなく死ぬという事実を見つめる
 7.自分を絶対に見捨てない人をみつけておく
なのだそうです。
「独身貴族・シンデレラ」→「パラサイト・シングル」→「負け犬」→「おひとりさま」とシングルを表現する言葉の変遷なども興味深かったけど、次の言葉が印象的でした。「負け犬といわれようが、自分らしく生きればいいんです。充実したひとりの時間を持っている人ほど、他人とも深い友情を結べます。・・・」(出典 ダカーポ2004 12/1号)

そうだ、「孤高」と言えば、新田次郎「孤高の人」は外せない。一人で山に登る登山家(加藤文太郎)の実話です。読んだのは20年くらい前だけれど、面白かった。きっとその頃から、素質はあったみたい。




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